環境の変化を選んだ理由 〜勿体ない!と言われてもなぜその道を選んだか〜

スポーツ現場でチームトレーナーとして働いています中谷大志(鍼灸師・AT・CSCS)です。

2017年〜2021年までは社会人野球チームの専属トレーナーとして約5年間、働かせていただきましたが、2021年1月をもって退職し、2022年から新天地で働くことになりました。

関係者を含めて当ブログやSNSなどで交流のある皆様に報告が遅くなった(契約上多々言えないしがらみが多く^^;)ので『何があったんや!』『どうしたん?』と多く連絡を頂きました。

新天地に関してもあることないこと出回りまくり、改めてゴシップの怖さ、速さを実感しました。笑

さて、本題に入りましょう。

過去ブログにも書いたかも知れませんが(面倒くさいので見返しません。笑)、少し遡ること約8年前。

大学4年生の春頃に、プレイヤーとしての競技人生を諦め(完全なる挫折)、漠然と「トレーナー」という存在になりたいと想い紆余曲折ありましたが専門学校に通って資格取得を目指すことを決めました。

大学在学中は経済学部だったため”一応”「高校地理・歴史」の教員免許取得を目指して単位も取っており、なんとなく学校の先生とかできればええかな〜とか甘〜〜〜い考えのもと、その中で野球部の顧問とか出来ればラッキーやな〜ぐらいの軽すぎる考えでした。

もちろん母校に教育実習にも行かせて頂きましたし、高校教師まがいの経験もしました(^_^;)

(まさか、その時の生徒(後輩)と後に、社会人野球チームで選手とトレーナーの関係になるとは、、人生は面白い!笑)

色んな環境と心境の変化もあり、スポーツに関われるトレーナーを目指し

23歳〜25歳までの3年間でホンモノの専門家になるべく人生で初めて、点数を取るためではなく、仕事にするための勉強を始めました。

その場しのぎの勉強しかしてこなかったのでノートをとる行為ひとつでもすごく苦労しました、、、

同時に、周りは就職(すでに高卒で就職して立派な社会人になってたり)、順調?に人生を歩んでる中、自分は学校に行き直すという状況に、想像以上の”劣等感”を感じていました。

(当時の恋人にも、「将来性が見えない」との理由で思っ切りフラれました。(^^;笑)

自分がやりたい!と決めて進んだ道なので、勉強ややってる事は楽しいしけど、心のどこかにある焦りが引っかかる日々を過ごしていました。

柄にも無く「自己啓発系」の本を手にしたり、、今思えば自分の人生を正当化しようとしていた自分がいたように感じます。

ただ、その少しもがいた過程を得て「20代は捨てる!」というマインドが腑に落ちました。

「捨てる」というワードは捉え方次第でニュアンスが異なりますが、自分の中での「捨てる」は「20代で成功を求めない」というような感じで考えました。

そう決めた瞬間に完全に、感じていた劣等感が薄まり、人と比べずに自分の人生に集中できるようになりました。

20代で成功を求めない、完成しなくてもいい、だからこそ攻める。

どんな職業でもそう言われることが多いと思いますが「経験がすべてだから」と自分が目指していた業界の先人達も仰っていました。

「ほな、20代、全部使って濃ゆい経験したろかい!」”捨てる”覚悟が持てた自分は23歳でギラギラし始めました。

資格が取れるのは25歳、、資格が取れたからといって専門家か?(世間体では専門家やけど、、)

資格を取るまでの過程で勝負する!と決めて、学校の勉強が疎かにならないように、むしろその机上の勉強意欲を掻き立てるように、現場経験を積みまくる行動を起こしました。

アルバイトもフィットネスでのトレーニング指導、鍼灸整骨院での治療助手(見習い)などで、アルバイトで稼いだお金も参考書やセミナー代に注ぎ込みました。

貯金なんか1ミリも考えてません、、20代 捨ててますから( ´∀`)汗

インターンで勉強させていただいていたアメリカンフットボールチームのトレーニングコーチから

「30歳ぐらいでチームのヘッドトレーナーとか出来たらいいね!」

と立ち話でしていただき、いつの日かそれが人生において一つの目標(通過点)となっていました。

20代は捨てると決めて腹括った自分にナイスタイミングでの言葉だったので、きっとしっかり刺さったのだと思います。

冒頭でも書きましたが資格取得し正式に働けるのが26歳になる歳です。

30歳までその歳を含めて5年間で自分のスタイルを確立するには、、、と逆算開始です。

その学生時代の必死のパッチの3年間、現場叩き上げスタイルが功を奏してか、資格取得後、就職したトレーナー派遣会社で1年目はアシスタントメインで現場のチャンスを多くもらえて、「お前、結構イケるな!」と当時勤めていた会社や帯同チームから評価を頂き、27歳になる年でメインのトレーナーとして、いわゆるひとつのチームを任せてもらえることになりました。

予定より2.3年早くきた目標と掲げていたチャンスに「いつでもいけます!」とギラついていた当時の自分は気合充分でとてつもない高揚感を覚えました。

人生はやることやってればなるようになるんや!と、、

そこから30歳の歳まで失敗、成功、喜怒哀楽、本当に濃密な時間を過ごさせてもらって、たくさんの経験、たくさんの人に出会い、ある程度「中谷大志」というトレーナーとしてのスタイルや立ち位置が確立してきたように感じだしたのが、つい最近のことです。

自分で言うのはおこがましいのは承知で、俗に言ういう脂がのってくる時期?てきな。

ある程度、発言力を持てたり、選手やチームとの関係性も築けたり、巡り合わせやたくさんの協力者がいたことも含めて20代後半で「仕事がしやすい環境」を創り上げることが出来たのは糧になりました。

計画してきた30歳よりも少し早く目標達成ができたことも含めて2年前(28歳)ぐらいから、次のを考えるようになりました。

30代で環境変えてもう1回勝負してみよう、いや、せなあかん。

これは誰に相談するともなく、22歳でこんな仕事がしてみたい!と決めて動きに動いてきた流れからの自然発生的な感情がそうさせました。

そう決めて、2021年1月のシーズンスタート時に、契約上、先に伝える必要があるごく1部の人のみに「ラストシーズンにしたいです」と伝えました。

冒頭から長々と書いたような、個人の感覚論に近い勝手な人生設計なんぞ、そう理解はしてもらえず、このコロナ渦中でトレーナーとして仕事があること、一定の立ち位置や評価をもらっていることを手放す事は無謀といった感じでした、、、笑

「正直言って勿体無いと思う」

「今じゃないじゃないか?」

「シーズン中含めてもう少し考えた方がいい」

そりゃそうですよね(^_^;)

辞めたからと言って、次の仕事がある保証なんて全くないですし。

職業柄、縁やタイミングに左右されるのは重々理解していましたが、

「なるようになるねん!」という根拠のない自信?と

今、30代前半でもう1回、もがいて苦労したり、20代の経験を駆使して試行錯誤する環境に身を置くことが次の10年後、40代に活きるはず、今がベストなタイミング。

という、直感めいた根拠のない人生観。

私も人間であり、いい歳した大人?なので、もちろん怖さもありました、

本当にギリギリまで最悪の状況を想定するところにいましたが、何とか新天地も決まり今はそちらで働いてオリます。

その決まり方も劇的でスリリングでしたので興味ある人はお会いした時にでも聞いて下さい(^。^)笑

ほらな、なるようになったやろ!?とオモテ向きではイキがらせて下さい!笑

また、30代新たなスタートになって20代前半から半ばのあの時とまた視野の広さや感情のコントロールの仕方は違うものがありますが、vibes はあの時のままで40歳で見える景色をイメージしながら、

また、1からコツコツと積み重ねていきたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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