プロ野球チームトレーナーから社会人野球チームトレーナー復帰への経緯〜そこに至るまでの想い〜

スポーツ現場でチームトレーナーとして働いています、中谷大志(鍼灸師・AT・CSCS)です。

かなり更新が空きました、、、

Instagramなどをチェックして頂いている方はご存じかと思いますが、この空いた期間に職場が変わりました。

プロ野球チームのオリックスバファローズで2年間トレーナーとしての勤務を終え、

2024年1月より社会人野球チームの「JR東海 硬式野球部」で働いております。

Instagram投稿記事はコチラから。

オリックス退団の詳細などは、”ある程度の関係性”の方にはお話しさせて頂いていますが、誰でも見れるSNS等ではお伝えしにくい部分もありますので控えます。。

そして今回の本題、、、

退団後の、次の道を考えるにあたって色んな人のお話や、実際に自分で動いてみたりして感じたこと、JR東海野球部就任までの想いなどをお伝えできればと思います。

まず初めに、私自身が2年間考えながら働いていて、これを読んでいるアスレティックトレーナー、S&C、セラピスト(ここでは総称してトレーナーと呼ばせてもらいます)の方にも一度考えてみて欲しいのが、

「トレーナーとしての最高到達点がトップ(プロ)チームに所属することなのか」

「所属している(していた)ことで業界的な地位が高まるのか」

何度かこのブログでもお伝えしたことがあるかもしれが、私自身はトレーナーとして働き出したときからブレていないのが、対象の相手がプロであろうが、アマチュアであろうが、学生であろうが、目の前のアスリートに注ぐ熱量は変わらないということ。

シンプルにアスリートが好きで、競技問わずアスリートのプラスになる存在でいるためにというとこが日々のモチベーションです。

簡単に言ってしまえば「プロ(トップ)チームのトレーナーがしたい」と思ってそれをモチベーションに仕事をすることが過去もこれからもおそらくありません。

なぜ冒頭でこんなことを書いたかというと、私がプロ球団で働き出した当初から、

「プロ野球トレーナーになりたいのですが、、、」という連絡が頻繁にくるようになったからです。

私も実際関係各所にプロ球団で働くことになった際、関係各所にその旨を連絡すると、

「おめでとう良かったね」とかそんなこと言った覚えがなくても「夢が叶って良かったね」といった言葉をもらったり、、、

ある同業者の大先輩の方にも「良かったね、行きたかったんでしょ?」と言われ

生意気にも「一切、行きたいとかはないです、たまたま縁とタイミングで決まった先がプロ球団だっただけです」

と答えたら、まあまあ怒られました、、、笑(素直に”ありがとうございます”で良かった。笑)

もちろん、それが”全てではない”というだけで、タイミングがあればその世界も見てみたいという興味はありましたし、実際に働いたからこそ得られることもあります。

そんな事もあって、世間体から見たら、「プロ(トップ)チームで働くことが成功者」という雰囲気には以前から違和感を感じています。

冒頭、長くなりましたが、退団が決まってから、そんな世間体があってかすごく残念がられたり、アマチュア球界や他競技の仕事の話を頂いた際には、「またプロ球団に戻りたいですよね」とか「他のプロ球団からお話が来たらそっちに行かれますよね」と言われ、私の中の違和感がデカくなる一方でした(^^;;

何か、カテゴリ的に下のチームで働く事はモチベーションが下がるという前提かのようで、、、

冒頭に書いたように、私のモチベーションはそこ(プロ)にはないので、そう言われることに嫌悪感さえ抱いてしまいそうでした(相手方は悪気ないので感情はグッと我慢)

要するに、「どこで働くかより、誰と、どのようなチームで働くか」が超重要です。

(”誰と”の部分は働いてみないとわからないことも多いけど)

Instagramにこれも投稿しましたが、退団後、本当に色んな人が色んなところに推薦してくれたり、現役選手達が私を求めてくれたりする中で、改めて自分の現在地を確認する約1ヶ月間を過ごしました。

実際にチームなどに所属せずに、自分ができることに磨きをかけて進んでいく道も最有力候補として具体的に考えていましたし、根拠はないけどいい方向にもっていける自信もついてきていました。

その中でも数チームからのお話を聞いたり、実際に現役選手のサポートをする中で「俺がやりたいこと、やるべきこと、できることは何か?」と考え始め、現場でもがいている選手の外からのサポートではなく、グラウンドレベルや共に生活している中で、一緒に取り組んでいくでいく伴走者として働くことが、まだやり残していることではないかという想いも生まれていました。

最終決定が迫られた12月中旬に本当に色んな縁が縁を呼び、社会人野球チームのJR東海硬式野球部のチームトレーナーという話があり、「このタイミングでこの話がくるのはそういうことやろな」と何かを感じて決めました。

そんな直感も大切な決断の理由ではありますが、大きな決定打になったのは「社会人野球」というカテゴリでの仕事ということ。

2017〜2021年の5シーズン日本通運硬式野球部という素晴らしいチームでトレーナーとしての駆け出しの中で成長させて頂きました。

社会人野球の厳しさ、裏方が少ない中でのチームトレーナーの大変さなども嫌ほど理解した上で、限られた人数、限られた環境で、ひとつの目標に向かって泥くさく戦う、あの高揚感の中でもう一度、命を燃やしたいと思ったのが、最大の決定打となりました。

よく、なぜこのチームを選んだのか、またプロチームを目指しているのか、など聞かれますが、

何度も言うように、「どこ(どのカテゴリ)で働くか」がモチベーションではなく、「そのチームに置かれた環境で自分がチームにどういった影響を与えられるか」というところに焦点を当てて、目の前の選手に期待して愛情を注ぐ、そこがモチベーションです。

チームに合流して約2ヶ月経ち、まだまだやるべきことが多いですが、ひとつづつ、選手、監督、コーチ、マネージャーと共に私自身も成長して参ります。

是非、JR東海硬式野球部の動向もチェックしてください!

今回は、帯同チームが変わった経緯についての感情的な部分を書いてみました。

少し今回の内容でも触れた「トップ(プロ)チームで働くことが成功者なのか」というところに対しての私自身の考えも深掘りしてみたいと思います。(また期間が空いたらすみません。笑)

最後までお読み頂きありがとうございました。

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